難民の認定をしない処分取消請求事件

事件の基本情報

裁判所東京地方裁判所
事件番号平成27(行ウ)73
判決日2018-02-23
分類民事
判決種別判決

この事件の代理人

判決文から代理人弁護士を特定できていません。判決文に代理人名が記載されない事件も多くあります。

争点(判決文より)

本件の争点は,原告が難民に該当するか否かであり,これに関する当事者の
主張は以下のとおりである。
(原告の主張)
(1) 「難民」の意義
法における「難民」の要件は,難民の地位に関する条約(以下「難民条約」
という。)及び難民の地位に関する議定書(以下「難民議定書」といい,難
民条約と合わせて「難民条約等」という。)の「難民」と同一であり(法2
条3号の2),その解釈は全面的に難民条約等に依拠するところ,難民条約
が単なる「恐怖」ではなく,「十分に理由のある恐怖」を要求していること
に鑑みれば,当該恐怖に客観的な根拠があることを求めていることは否定し
難いが,その趣旨及び目的に照らして与えられる用語の通常の意味に従い誠
実に解釈した場合(条約法に関するウィーン条約31条1項),最低限の客
観性,すなわち,単なる主観的な可能性を超えて,証拠に基づく合理的ない
し現実的な根拠を有する恐怖であると解するのが相当である。
そして,迫害を受けるのが10人に1人であったとしても,自分が選ばれ
る可能性がないと断言できない限り,迫害の恐怖を感じるのが通常であり,
注視される可能性があるか否かを確実に見極めることが不可能である以上,
この点が恐怖の有無あるいは客観的な根拠の有無を左右すると考えるのも誤
りである。
(2) ミャンマー(1989年(平成元年)6月18日に国名が改められる前の
旧ビルマ連邦及び旧ビルマ連邦社会主義共和国(以下,まとめて「ビルマ」
という。)当時を含む。)の一般情勢
ア 1988年(昭和63年)の民主化運動と軍政の成立
ビルマは,1948年(昭和23年)に英国から独立し,1962年(昭
和37年)にネィウィンが軍事クー・デタによって全権を掌握し,独自の
社会主義思想に基づいて国軍の指導のもとビルマ社会主義計画党によって
一党支配した。しかし,ビルマ式社会主義は,極端な経済不振にあえいで,
1987年(昭和62年)12月には国際連合(以下「国連」という。)に
よって後発発展途上国(いわゆる最貧国)の指定を受けるまでに至り,1
988年(昭和63年)3月,ヤンゴン工科大学の一部の学生が,体制に
対して命がけの抵抗を始めた。同年8月後半から9月前半にかけて最も高
揚した民主化運動は,初期の反ネィウィン闘争から,複数政党制の実現,
人権の確立,経済の自由化を三本柱とする民主化闘争にその姿を変えてい
った。連日のように数十万人の人々がデモや集会に参加し,アウンサンス
ーチーも,同年8月に学生たちに推される形で表舞台に登場したが,同年
9月18日,国軍の幹部20名から構成される国家法秩序回復評議会(以
下「SLORC」という。)による軍事政権(以下「軍政」という。)の成
立が宣言され,国軍が全面的に政治権力を行使することになった。
同年の民主化運動を率いた学生

主文(判決文より)

1 原告の請求を棄却する。
2 訴訟費用は原告の負担とする。

出典

本ページは裁判所が公開する判例データに基づいています。